2014-10-06

・フィリピンの戦国時代から現在までの歴史
・1960年~現在までの日本とフィリピンの関係
・1986年から下がり続けるフィリピンの紙幣価値
・高い物価と低い紙幣価値から国民の一割が海外で出稼ぎ労働
・アキノ大統領の息子はどのように殺されたのか?
・“拳銃密輸王”の”金田 仁”氏が語るフィリピンの歴史、経済

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1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

キリノ大統領は日本に対して 80億ドルの戦時賠償をしろ、と言い出した。
当時の1億ドルは 8000億円に相当、日本の国家予算は 7000億円、
つまり80億ドルとは日本の国家予算の80年分。
日本は当時 完全な焼け野原、支払できないと言った。
するとキリノ大統領は日本人 BC級戦犯の 70人超中 14日を1日で処刑した。
これは身代金を払え、でなければ殺す、銀行強盗と同じ。
日本は激怒した。

しかしアメリカのダレスがフィリピンへ飛んで死刑をやめさせた。
もし日本が怒って日本が協力しないと言い出したらアメリカは朝鮮戦争を遂行できなかった。
詳しくは下記のブログをご覧ください。
devlin.blog.so-net.ne.jp/2010-08-23-3
朝堂院会長の国民本位の姿には頭が下がります。ただ、会長のブレインはもう少し勉強していただきたいと思います。誤った資料を渡すと素晴らしい会長でも判断を誤ってしまいます。何卒確りと下調べのことお願い申し上げます。キリノ大統領の妻子が殺害された件も何が真実なのか精査が必要だと思います。

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